強すぎる怖れや緊張が人生を楽しむことを邪魔している。
それでも、持って生まれた性格だから仕方ないと思ってきました。
けれど、時代は進み、生きづらさに乳幼児期のトラウマ体験が関係していたことがわかりました。
本来の自分に戻っていくとは?
ひとつの例として自分の体験を書いています。

強迫症状に追われて

さて、突然ですが、皆様は、強迫性障害という病をご存知ですか?

繰り返し手を洗うだとか、何度も何度も火の元の確認を行うだとか。

隠す人も多いですから、身近にそういう人はいなかったかもしれませんが、聞いたことはあるのではないでしょうか?

この病はけっこう、きついのですが、私は、小学校の高学年からその症状が出始めました。

中学・高校と、強迫観念が頭から離れず確認行為を繰り返す日々を過ごしましたが、いつの間にか頭が物凄く固くなっていて、親の反対を押し切って入ったバレーボール部の練習を休むことなど全く考えられませんでした。

大学受験で強迫症状はピークに達し、進路が決まってから心療内科に行きました。

でも、先生が「一応薬出すけど効かないよ」と言っていた時代だったのです。

けれど、心の問題などでは無く頭がおかしくなったのだと感じながらも、それを絶対に認めたくなかった私は、先生のそんな言葉に救われ、通院もすぐにやめ、大学という新しい世界に夢中になっていきました。

強すぎる怖れ

もちろん、強迫症状を抱えながらということもあったでしょうが、練習しても練習しても全く上手くならなかったバレーボールを、途中で辞めたら負け犬だという思い込みだけで続けてきた私にとって、大学という新しい世界は眩しいほど輝いて見えました。

いろいろあって、最終的にボランティアサークルに入ったことも、結局は一人の世界に閉じこもっていた私にとって良かったのでしょう。

大学への入学を機に、激しい強迫症状は徐々に治まっていきました。

けれど、自分が取り返しのつかない失敗をおかしてしまうのではないかという恐れは残ってしまいました。

なかでも、誰かを傷つけてしまうのではないか、あるいは命を奪ってしまうにではないかという加害恐怖が非常に強かったのです。

それは、幼い頃にさかのぼっても、原因をみつけることなどけしてできないと言い切れる程のものでした。

すがるものが欲しくて大学は立教のキリスト教学科に入りました。

でも、学問として学んで信仰を得るのはやはり無理でした。

希望の光

大学の4年間ボランティア活動を続けてきた私は、卒業式を待たずに、小さな福祉施設で住み込みで働きはじめました。

けれど、加害恐怖も邪魔して食事当番をこなすことも出来ず、4月になるかならないかで、そこを去ることとなりました。

私は皆んなと変わらない。

それを証明したくて、また家を出て一人暮らしをしながら必死に働きました。

けれど、取り返しのつかない失敗をしでかしてしまうのでは、という恐れは尋常ではなく、持って生まれたものだから一生抱えていくしかないと思うたびに暗澹たる気持ちになりました。

そんな私に初めて希望の光を与えてくれたのは、自然食品店の店長が貸してくれた一冊の本でした。

それは、精神世界の先駆けとも言われた本で、私たち一人一人が創造主なのだと書かれていました。

初めて聞くことばかりで半分以上理解できなかったのですが、なぜか、唯一神を信仰するキリスト教の教えよりも、私にはすんなり受け入れられたのです。

そして、その時、この重荷を下ろせるかもしれないという希望の光が初めて見えたのでした。

感情に翻弄されて

精神障害者の通所施設で職員として働いていたとき、ひとつの失敗をきっかけに、強すぎる怖れをどうにかこうにか抑え込んでいた蓋が吹き飛んでしまったようです。

それから、何かが起きるたびに、怖れだけでなくネガティブな激しい感情に翻弄されるようになってしまいました。

これも結構きつくて、私もついに白旗を上げました。

理不尽な恐れを経験したことのある方ならわかって頂けると思いますが、精神世界の本を読み輪廻転生という考え方を知ったとき、怖れの原因は前世にあるんじゃないかと思いました。

そんなこともあって、病院が救ってくれるとは思えなかった私は、精神世界に救いを求めました。

いろいろなワークショップに参加して、たくさんのセラピーを受けました。

そのなかで、「あなたは身体から入ったほうが良い」と言うセラピストに出会いました。

でも、身体には全く問題を感じていませんでしたから、すぐに行動を起こすことはありませんでした。

身体とつながる

けれど、仕事を辞めて美術学校の学生になったとき、心に余裕が出来たからでしょう。

ちょっと受けてみようかなという気になったのです。

そして、ボディーワークを受け始めた私は、自分の身体がひどく居心地の悪い状態であることに初めて気づいてしまったのです。

胸の上部や両肩の緊張は半端なく強かったのですが、それらは、強迫症状を抑えつけるために強くなったのではなく、発症するずっと前からそこにあったと感じました。

そして、そんなことは聞いたこともないけれども、この体が、今でいう強迫性障害の発症とも、長く苦しめられてきた精神的な問題とも関係していたと感じました。

それが、32歳の時でした。

産まれた時には左目が内斜視で、頭も体もかなり歪んでいました。

乳幼児期に、目の玉の位置を調整するために何度か手術を受け、眠れぬまま手術室に入ってしまい苦しい思いをした記憶も残っています。

ボディーワークによって、居心地が悪く逃げ出していた身体に再び連れ戻された、そんな感じでした。

エドガー・ケイシー

特に後頭部と首の付け根が窮屈で、不快でたまらなかったのですが、なぜ今まで何も感じなかったのか、不思議でたまりませんでした。

また同時に、懸命にもがいてきたけれど、常に、自分の全てが〝今ここ〟にはいなかった、自分の一部が体から抜け出した状態で長いこと生きてきた、そんなふうに思えたのです。

数年後、知人の紹介で、ある講演会に参加することとなりました。

それは、眠れる予言者といわれたエドガー・ケイシーのリーディングを研究し臨床に生かしてきたメンタルヘルスの専門家デイビット・マクミラン氏の講演会で、第一部のテーマは、『心と身体のつながり』でした。

エドガー・ケイシーは、魂や心と肉体をつなげているシステムとして、交感神経系統・知覚神経系統・内分泌腺の三つをあげていたと、マクミラン氏は教えてくれました。

さらに、ケイシーは、恐怖症の人には「魂の脳」といわれる交感神経系統に問題がある場合が多いと言い、精神的な問題を抱えた人にはマッサージやオステオパシーを勧めていたとも。

マッサージ師養成学校に入ってしまったのも、この講演会に参加できたことが大きかったと思っています。

(確かではありませんが、上記の交感神経とは、副交感神経を含む自律神経のことという説明を聞いたような気がします。)

感じることを思い出す

一旦耳を傾け始めると、身体は、緊張や痛みを次々と浮上させ、私が気づくと手放していきました。

精神障害者の通所施設で働いていた頃は、精神分析の勉強会に出たり、常に頭で解決しようとしていました。

けれど、セラピストが言ってくれた「考えるのではなく、感じてごらん」という言葉の意味がわかるようになるにつれ、私もボディーワーカーになりたいという思いが膨らんでいきました。

トラウマ

マッサージ師の養成学校で3年間学び、卒業後、多くの方の身体に触れさせて頂くなか、トラウマについて書かれた数冊の本と出会いました。

それまでトラウマというものがどういうものかよくわかっていなかったのですが、危機的状況において、自律神経がどのように反応したかが大きいということを知りました。

また、その時に発生する過剰な感情エネルギーについてわかったことで、自分が体験してきた生きづらさは、幼い日のトラウマ体験によるところが大きかったと理解することができました。

4、5才だったか、
「患者さんが眠られました」という看護婦さんの声が聞こえたものの、後で「まだ起きていたんだよ」と言って皆んなを驚かせようとワクワクしながら手術室に入ってしまった私。
いきなり酸素マスクで鼻と口を覆われ呼吸が乱れ、大変なことをしてしまったと気づいたとき、起きていたことを誰にも気づかれてはいけないと思いました。
そして、懸命に、送られてくる酸素に呼吸を合わせようとしたのですが、息が止まると思ったところで記憶が途切れています。

どこまでが正確な記憶なのかもわかりませんが、このトラウマ体験が、強すぎる恐れや生きづらさと関係していたのだろうと今は思っています。

一番最初に斜視の手術を受けたのは、1歳になるかならないかだったと聞いていますし、上記の手術の体験が唯一の原因だとは思っていません。

でも、一生背負っていくしかないと諦めていた強すぎる恐れも、本来の自分に元々備わったものでは無かったのです。

今こうして人生を心から楽しめているのは、出会えた全ての方々のおかげでもあります。

感謝の気持ちを忘れずに施術を行っていきたいと思っています。

今も本来の自分に帰る道の途中。

どこまで行けるか楽しみです。

この先の人生がどうなっていくのかまるでわからなかっ頃。

私を支えてくれていたのはお話を書くことでした。

誰かに自分の体験を伝えたい、

大切な人たちとの思い出を残したい。

そんな思いで書き続けていたら長くなってしまいました。

思い出やら憧れやらを都合の良いように組み合わせて創り上げた登場人物たち。

恥ずかしくもありますが、私の強迫症状がどのようなものだったかもわかって頂けると思います。

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