生きづらさと体と心の繋がり/ボディワークの勧め 

ボディワークの効用

「ボディワークって、なに?」という方、いらっしゃいますよね。

私が30年ちかく前から「ボディワーク」という言葉を知っていたのは、私達は目に見える肉体のみの存在ではないということを前提とした、いわゆるスピリチュアル系のセッションに関心を持っていたからなのでしょう。
一般的には、マッサージをボディワークと言ったりはしませんものね。

まだインターネットが普及していなくて、ようやく雑誌から、そのようなセッションの情報を得られるようになった頃は、

⚫︎カウンセリングなどの心理的ワーク

⚫︎主にエネルギーフィールドに働きかけていくエネルギーワーク

⚫︎主に「からだ」に働きかけていくボディワーク

と、3つに分けて紹介されていることが多かったように思います。

特にエネルギーワークとボディーワークを分けるのは難しく、現在はまた違ってきているようです。

けれど、今のように様々な技法を用いた精神科クリニックから自分に合う場所を選ぶことなど出来なかった時代に、理由のわからない強すぎる恐れや不安など精神的な問題を癒すために、心理的ワークとともに、エネルギーワークを受けたいと思った人は多かったのでは無いでしょうか?

私も、まだスピリチュアル系の雑誌を手にすることも出来なかったころ、「前世療法」を受けたくて申し込んだカウンセリングのセッションで
「あなたは、からだから入った方が良い」と、言われたものの、何にも問題を感じていない「からだ」のワークを受ける気にはなれませんでした。

けれど、30年経って振り返ると、好奇心から1回だけと思って受けはじめたボディワークが、やっぱり一番必要だったのだとつくづく思うのです。

なぜかといえば、ボディワークが、しっかりと「からだ」に繋がるきっかけを与えてくれたからです。

グラウンディングが弱い状態は、

スピリチュアルに関心のある方は、

グラウンディングが弱い
「からだ」が留守になっている

などと言った言葉を聞いたことがあると思います。

「からだ」にしっかりおさまっていたり、留守にしてしまうものはなにかというと、目に見えないエネルギー体で、肉体とこのエネルギー体との繋がりに問題が生じてしまった状態については、エドガー・ケイシーや、バーバラ・アン・ブレナンなど、多くの方が語っています。

エネルギー体には、エーテル体、アストラル体、メンタル体等々があるという話を聞かれたことのある方もいらっしゃるでしょう。

けれど、その辺になると人によって語っていることが少しずつ違ったりもしますし、一般の人には見えないのですから、何が正解なのかはわかりません。

それでも、しっかりと「からだ」に繋がり地に足のついた状態と、そうではなく「からだ」が留守になっている状態というのは、確かにあって、後者の場合は、様々な問題が生じ、生きづらさに繋がってしまうことがあります。

医学関係者がエネルギー体という言葉を使うことは、殆どありません。

けれど、

ピーター・リヴァイン氏の著書のタイトルは、『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』、
ベッセル・ヴァン・デア・コーク氏の著書のタイトルは、『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法 』

であるように、トラウマからの回復をテーマとした本の多くには、トラウマ体験によって問題の生じた「からだ」と「こころ」の繋がりを取り戻していくことの大切さが書かれています。

今の私には、ここでいっている「からだ」と「こころ」の繋がりに問題の生じた状態と、スピリチュアルな世界でいわれる、グラウンディングが弱い状態というのが、同じと言って良いように思えるのです。

ですから、この記事では、肉体におさまったり、離れたりするものを、マインド、「こころ」ー感情・思考・意志、そして意識として話を進めていきたいと思います。

忙しさや悩みの中で、自分の「からだ」の声を無視するようになってしまったというのであれば、「からだ」に意識を向けることで繋がりを取り戻すのも可能でしょう。

けれど、トラウマ体験などによって、脳を含む「からだ」に変化が生じてしまった場合は、「からだ」に意識を向けるだけでは、なかなか難しいです。

解剖学的なことには関心の無い方もいらっしゃるかもしれませんが、次の章からは、「からだ」の感覚を脳に伝える神経について書いていきます。

体性感覚とマインド

エドガー・ケイシーは、肉体と魂や心を繋げているものとして、神経系統と内分泌腺をあげていたそうです。
内分泌腺が、「からだ」と「こころ」を繋げることに関わっているかどうかは、今の私にはわかりません。

けれど、神経系統は関わっているように思うのです。

それも、脳からの指令を「からだ」に伝える遠心性の神経線維以上に、「からだ」の情報・内部感覚を脳に伝えるシステムが深く関わっているように思うのです。

看護roo!というサイトの「感覚にはどんなものがあるの?」という記事には、
“感覚は特殊感覚、体性感覚、内臓感覚の3つに大別できます。”と、あります。

特殊感覚とは、目・耳・舌・鼻・内耳といった感覚器で得られる視覚、聴覚、味覚、嗅覚、平衡感覚とされ、
“体性感覚は、表面感覚と深部感覚に分けられます。表面感覚は皮膚感覚ともいい、触覚、圧覚、痛覚、冷覚、温覚などがあります。”とも、書かれています。

皮膚感覚は外部感覚とも言われますが、ベッセル・ヴァン・デア・コーク氏の上記の著書には、トラウマやネグレクトの犠牲者である患者の中に、目を閉じ差し出してもらった手の上にキーや硬貨などを置いても、それが何か想像さえ出来ない人がいると書かれています。

ちなみに、私の場合、小学校の高学年で発症した強迫性障害の最初の症状は、目に見えないトゲでした。
実際には無いのですが、指先が、ザラだったり、チクだったり、ほんの僅かな感覚をとらえてしまうと、目に見えない小さなトゲに思えてしまうのです。
トラウマ体験で「からだ」と「こころ」の繋がりに問題が生じてから、すでにかなりの月日が経っていたと思います。
膨れあがった恐れの感情のため、指から伝わる感覚がトゲに思えたのだとすれば、感覚とマインドは無関係ではないのでしょう。

また、深部感覚においては、なぜ、ボディワークを受けるまでの自分が、筋肉や腱から伝わってくるはずの不快な感覚を全く受け取れずにいたのは何故なのか、今もはっきりとはわかりません。

それでも、私の場合、ひどい状態であることに気づけた時から、「からだ」を感じる力が少しずつ高まっていき、同時にグラウンディングが強まっていったと思っています。

しかし、事故などで、脚を動かす神経とともに感覚神経が麻痺してしまった方々にも、「からだ」と「こころ」の繋がりに問題が生じているかといえば、そうではないようです。
車椅子バスケやテニスの選手たちは、しっかりグラウンディングしているように見えますものね。

つまり、「からだ」と「こころ」の繋がりが弱くなると、体性感覚等に問題が生じることがあるけれども、体性感覚に問題が生じると、「からだ」と「こころ」の繋がりが弱くなるとはいえないのでしょう。

内臓感覚と迷走神経

けれど、ポリヴェーガル理論で、トラウマ体験によって、

主たる副交感神経である迷走神経や、
社会交流システムとも言われる腹側迷走神経複合体(声や顔の表情などを使って他者と交流することを可能にしている腹側迷走神経を含む5つの脳神経の複合体)

に、変化が生じてしまうと、元の状態に戻るのが簡単ではないと言われているように、脳神経系統に変化が生じてしまったため、「からだ」と「こころ」の繋がりを回復するのが難しいということはあるようです。

この章は、津田真人先生の著書『ポリヴェーガル理論への誘い』を参考に書かせて頂きますが、内臓痛覚を脳に伝えるのは交感神経系の線維だそうです。

そして、他のほぼすべての内臓感覚の情報を脳に伝えているのは、迷走神経だそうです。

副交感神経線維の80%を占めている迷走神経。
この神経の更に80%を占めているが求心路(感覚線維)だというのです。
絶え間なく脳に送られる内臓の情報がすべて意識に上ったら日常生活に支障が生じることでしょう。
情報が伝えられ、それにより調整が行われる過程は、ほぼ意識に上らないようです。

けれど、上記の本には、

ポリヴェーガル理論の提唱者であるポージェス氏は、

「内受容感覚」を「第6の感覚」として重視し、それを「より高次の行動のインフラ」と位置づけていました。内臓感覚に始まる身体感覚が私たちの「意識」をつくりあげ、「自己」をつくりあげ、私たちの「意識」や「自己」は内臓感覚に始まる身体感覚によって成立するのです。

『ポリヴェーガル理論への誘い』P.39-40

と、書かれています。

内受容感覚と主体性

(「内受容感覚」という言葉は、内臓感覚に限定して使われることもありますが、この記事では、体性感覚も含めて使わせて頂きます。)

心臓がドキドキしている、だるい、疲れているといった「内受容感覚」。
様々な心身の不調時に低下していることがわかってきて、この感覚の誤入力が心身症をはじめ多くの病に関わっているとも言われはじめています。

ベッセル・ヴァン・デア・コーク氏も、

 「主体性」とは、自分の人生を自ら取り仕切っているという感じを指す専門用語であり、自分がどこにいるかを知っていること、自分に起こることに対して発言権があるのを知っていること、自分の境遇を形作るそれなりの能力を持っているのを知っていることだ。
(中略)
 主体性は、科学者が「内受容感覚」と呼ぶものから始まる。内受容感覚とは、体に基づく感情である微妙な感覚の自覚だ。その自覚が大きいほど、自分の人生を制御する潜在能力も大きくなる。

『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』』P.160

と、言っています。

とても、重要なことなのでもう少し引用すると、

 私たちが腹の底で感じるものは、なぜそのように感じるかをきちんと説明できなかったとしても、何が安全か、生命の維持に役立つか、脅威を与えるかを知らせてくれる。私たちの内部感覚は、自分の生体の欲求について、微妙なメッセージを絶えず送ってくる。
(中略)
 だが、トラウマを負った人々は、自分の体の内部で絶えず危険に感じている。過去が、心を苦しめる内部の不快感として生き続けているからだ。彼らの体は、内臓の危険信号をひっきりなしに浴びせかけられ、それを制御しようとするうちに、腹の底で感じるものを無視し、内部で起こっていることの自覚を麻痺させるのが得意になってしまう場合が多い。彼らは自己から隠れることを学ぶのだ。

『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』』P.161-162

トラウマの刻まれた部位から発せられつづけているSOSと同時に、導いてくれる内側の声にも蓋をしてしまった人は、神とはぐれてしまったような感覚を抱くことがあるかもしれませんね。

スピリチュアルに関心を持ったことのある方なら、外側ではなく、内側に意識を向けることの大切さを聞いたことがあると思います。

けれど、「からだ」の微妙な感覚と繋がることが大切だなんて、多くの人が思わなかったのではないでしょうか。

脳のある部位における機能停止

ベッセル・ヴァン・デア・コーク氏の上記の本には、幼少期の深刻なトラウマを抱える複数のPTSD患者のスキャン画像で、脳のある部位にほとんど活性化が見られなかったと書かれています。

そして、その部位の説明として、

これらの患者は、トラウマ自体への反応として、また、ずっとあとまで残っていた恐怖に対処する中で、特定の脳領域の機能を停止することを学んだのだ。それは、恐怖に伴ったり恐怖を特徴づけたりする、内臓で経験する感覚と情動を伝える領域だ。だが、日常生活では、まさにそれらの領域が、私たちの自己認識、すなわち自分は誰なのかという感覚の土台を形作るいっさいの情動と感覚の認識を司っている。

『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』』P.152

と、あります。

脳の機能が停止しているなんて言われたら、回復は不可能なようにも思えてしまいます。
しかし、ヨーガなど“体の感覚に意識を向けて、その感覚と仲良くなることを含む行為(P.452)”によって、脳の活動が活性化するとも書かれています。

私がマッサージとクレニオセイクラルセラピーのボディワークを集中して受けたことで、いきなり自分の「からだ」の不快さに気づいたのは、意識を向けつづけたことでほぼ停止していた脳の活動が活性化したからかもしれません。

それでも、試しに1回だけと思って受けたセッションの後で、ボディワーカーからその必要性を教えられたように、胸から上、特に両肩周りの緊張を徹底的に解してもらったことは大きかったように思うのです。

筋肉の鎧と上部頸椎の歪み


オーストリア出身の精神分析家ヴィルヘルム・ライヒの『筋肉の鎧』という言葉を聞かれたことはありますか?
頭が埋もれてしまうほど上がった両肩の緊張、これは感情の抑圧や防御のためと言われています。

もちろん、それもあるでしょう。
でも、命の危機を感じるようなトラウマ体験時に、自分を助けるため、「からだ」から頭への流れを止めようとした痕跡が関係しているのかもしれません。

スタンレー・ローゼンバーグ氏の『からだのためのポリヴェーガル理論』という本には、

“危機に瀕して、戦うか逃げる必要があるとき、あるいは現在の状況に身体的、感情的に直面できないとき”、第一頸椎と第二頸椎を回旋させることにより脳へと血液を送っている“椎骨動脈に圧をかけ、脳幹への血流を減らし、社会交流に必要な五つの神経の機能に影響を与える”(低下させる)ことで、“私たちの生存を助けるのです。”

“”部位、『からだのためのポリヴェーガル理論』P.287から引用

と、書かれています。

私がボディワークによって気づいた不快さは、トラウマ体験後も元に戻らなかった、この上部頸椎の歪みによるところが大きかったように思います。

トラウマ体験後の幼かった私には、その不快さに対処することはできなかったでしょうし、あの時代に頸椎の回旋を指摘してくれる人などいなかったでしょうから、感じなくするというのは最善の選択だったのかもしれません。

けれど、聞こえないけれど、頸椎の回旋によって引き伸ばされた筋肉などからはSOSがずっと発せられつづけているのでしょうし、それに気づいてあげないと肩の力を抜くことも、なかなかできないのでしょう。

ちなみに私は、上部頸椎の矯正後、頭蓋骨の構造まで変わるような大きな変化を体験したことがあります。
でも、頻繁にセッションを受けることのできないセラピストだったこともあり、数ヶ月後には元に戻ってしまいました。

血流だけなのかはわかりませんが、あの体験で自然な流れを堰き止めたまま生活していることに気づいた私は、カイロのアジャストなども受けてみましたが、あれほどの変化が起きることはありませんでした。

しかし、上記の本に書いてありますが、上部頸椎は、深刻なトラウマ体験でなくても正常な位置からずれたり戻ったりしているらしいのです。

長い間つづいている頸椎のずれにしても、状況において大きくなったり小さくなったりしています。

ですから、時間はかかりますが、本人が「からだ」から伝わってくる微妙な感覚をも受けとれるようになると、何によって歪みが大きくなるのかもわかってきます。

私自身、まだ歪みが残っていますが、幼いときからこの状態で生きてきましたし、封印しているものを解放し元に戻る「とき」があるようにも感じます。

対話を重ねながら、「からだ」の緊張を一つ一つ解放していく過程を経て、今生のうちに、矯正後のあの状態を常としたいと思っています。

内受容感覚の低下に気づくために

最初に書きましたが、仕事や家事が忙しすぎて「からだ」の声を無視しつづけてきたというのであれば、内側に意識を向けることで、低下した内受容感覚を回復できるかもしれません。

けれど、前述してきたように、脳も含めた「からだ」に変化が起きてしまっている場合は、それだけでは、なかなか難しいところがあります。

何より、本人が感覚の低下に気づくのは難しく、例えば20%しか感じられていないのに内側に意識を向けたことで少し感覚が高まると、それだけで満足してしまうからです。

ですから、まずは「ボディワーク」などで、内受容感覚が低下していることに気づくことが必要だと思うのです。

「筋肉の鎧」をつけている人の中には、人からは指摘されるけれども、両肩の緊張に殆ど気づいていないという方もいらっしゃるのではないでしょうか?

「ボディワーク」は、マッサージのようにワーカーが主に手を用いてクライアントの「からだ」に働きかけていくものばかりではありません。

また、ヨガや、心地良く「からだ」を動かすダンスなどが含まれることもあります。

ここでは、詳しく書きませんので、ぜひ調べてみてください。

筋肉の鎧をつけている肩には、凝り固まった筋肉を解すためのマッサージもお勧めです。

でも、私のように、いきなり派手に感覚が戻っても結構大変なので、慎重に解していく必要があります。

からだが留守だと感情は長く生きつづける

今まで書いてきたように、「からだ」と「こころ」がしっかりと繋がり、「からだ」の感覚をキャッチできることの大切さは、医療関係者によっても語られています。

少し、変わって、この章からはエックハルト・トール氏の『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』という本を参考に書かせて頂きます。

早速、引用させていただきます。

 健康に機能している生物の場合、感情の「寿命」はほんのいっときです。「大いなる存在」を湖になぞらえるなら、感情は、その水面をなでる、さざ波のようなものです。ところが、からだを「留守」にしている人の中では、感情はなん日もなん週間も生きつづけます。もしくはそれが、すでにからだに存在している、似たような過去の感情とひとつになって、ペインボディになってしまいます。ペインボディは、マイナスのエネルギーを糧にして生きる、「寄生虫」のようなものであり、実際にわたしたちを病気にし、人生をみじめなものにしてしまいます。

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』P.162

危機的状況でありながら、逃げることも、戦うことも、助けを求めることもできないトラウマ体験では、過剰なエネルギーを抱え込んでしまうことがあります。
私の場合も、そうだったのだろうと思っています。

けれど、ボディワークを受ける前、限界がきてしまったかのように噴き出してきたネガティブな感情は半端なく、全てがトラウマ体験時に生じたものではないこともわかりました。

最近は、「からだ」との繋がりに問題が生じてしまうと、ネガティブな感情が全身を巡りじきに去っていくという自然な過程を踏むことができなくなるのではないかと思っていたのですが、それが当たっているかどうかはわかりません。

ともあれ、引用した箇所に書かれているように、からだが留守になってしまうと、感情が長く生きつづけてしまうということは、本当にあると思うのです。

不在時に忍びこむ他者のエネルギー

自分でもコントロールできないほどの激しい感情に苦しんでいる方は結構いらっしゃると思います。

もう一箇所、エックハルト・トール氏の上記の本から引用いたします。

ほとんどの病は「主人」の「不在時」に、からだに忍びこんできます。主人の留守中には、さまざまな胡散くさい連中が、「住まい」をわがもの顔で占領してしまうのです。主人がからだに住んでいれば「迷惑客」は家にあがりこめません。
 強化されるのは、肉体の免疫力だけではありません。精神の免疫力も大いに高められます。精神の免疫力は、感染性が高い他者のネガティブなエネルギーから、わたしたちを保護する機能です。

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』P.166-167

続きは最後の章に載せさせて頂きますが、何はともあれ、他者のネガティブなエネルギーを取り込んでしまい、気づかないまま、振り回されたり、苦しめられたりするということも、本当にあるようです。

幼過ぎたり、受け止めきれなかった感情が、時を経て、解放されるために浮上してくることは誰にでもあります。

けれど、それにプラスして、自分以外の思考や感情を次から次へと取り込んでいたら、いつまで経っても、感情に翻弄される状態から抜け出せません。

この件に関しては、もう少し学んでからまた書くつもりですが、とても重要なことだと思っています。

私自身も、エックハルト・トール氏の言葉を借りれば、“からだに住まう”ようになれてから、感情が落ち着いたように感じています。

感じられなかった痛みや緊張

感情と同じく、「からだ」が経験した痛みや緊張なども、「こころ」が不在で感じてもらえなければ長く残ってしまうようです。

ボディワークを受け、いきなり「からだ」の不快さに気づいてしまった私は、まだ解剖学の知識もありませんでしたし、何がどうなっているのか全くわかりませんでした。

でも、やはり感情と同じく、顎の緊張が浮上してきてそれに気づくといつの間にか消えていて、時が経って更に深い緊張が浮上してきてといった具合に、長い月日をかけて溜め込んだものを一つずつ手離してきました。

ただ、ここまで来るのにこれだけかかってしまったのは、いざ仕事となると、それまでの習慣で、「からだ」は無視なんてことが多々あったからだと思います。

ですから、生活に少し余裕ができたときに、ボディワークを受け始めるのもお勧めです。

今ここに在ることで生まれるパワー

スピリチュアルに関心のある方なら、「今ここに在る」ことの大切さを聞いたことがあるでしょう。

「からだ」にも沢山の過去が刻まれています。

けれど、今ここに在る「からだ」にしっかりグラウンディングしているとき、「こころ」も今ここに在ることができます。

反対に、「からだ」との繋がりが弱くなってしまった「こころ」は、過去や未来をさまよいはじめます。

まだ来ない未来を心配し、過ぎた過去を後悔する思考。

ネガティブな思考が止まらないという方は、“からだに住まう”ことができているかどうか見直してみて下さい。

そして、できていないと感じるのであれば、「からだ」の内側に意識を向ける時間を持ってみてください。

「からだ」に意識を向けながら、未来や過去について思考を巡らすことは難しく、もしできるのであれば、意識が内側に向けられていないということなのでしょう。

エックハルト・トール氏の上記の本には、

たくさんの人たちが、「この瞬間」から逃れ、未来に目を向けようとする理由は、自分の痛みと向き合うことを、なによりも恐がっているからです。惜しむらくは、「いまに在る」ことで生まれるパワーは、恐れの根源である過去の痛みを溶かしてしまえることに、この人たちが気づいていないことです。

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』P.206

と、書かれています。

頭では、「今ここに在る」ことが大切だとわかっていても、このような真のパワーを知っている人はまだ少ないのでしょう。

私も、知らなかったことに、最近、気づきました。

ボディワークという言葉を使うのは

「はるのいざない」は、リラクゼーションスペースですから、どのような使い方をして頂いても、もちろん構いません。

けれど、私がボディワークという言葉を使うのは、「マッサージ」という言葉から一般の方が抱くのは、施術者が悪いところを治してくれたり、リラックスさせてくれるといったイメージでしょうが、「ボディワーク」という言葉には、主体は自分という意味合いが込められているからです。

時には手術を受けたり治療をうけたり、それでも、真に自分を癒し健康を維持するのはやはり「自分」だと思うのです。

最後に、私もまだ、真実かどうか試しているところですが、「不在時に忍びこむ他者のエネルギー」の章に載せたエックハルト・トール氏の言葉の続きを引用させて頂きます。

からだに住まうとバリアができて、そのバリアがわたしたちを守るのではありません。自分の波動を高めることによって、恐れ、怒り、鬱などの低い波動のものとは、実質的に別の次元に存在できるのです。ネガティブエネルギーはもう、その人の意識に侵入できなくなってしまうのです。たとえはいってきたとしても、その人がまるで透明人間であるかのように、その人のからだを通り抜けていくだけなので、抵抗する必要もありません。わたしの言うことを、ただ鵜呑みにしたり、度外視したりせずに、自分で試してごらんなさい。そうすれば真実かどうか、わかりますよ。

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』P.167
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