強迫性障害・加害恐怖、ある人の場合/小説『また開く花のように』

16年以上前に書きあげ、最近はアメブロで公開していた小説『また開く花のように』。

文章かたいし、ともかく長い!
それでも、あの時、伝えたかった思いがぎゅっと詰まっていて、思わず新しいサイトを作ってしまいました。

小説のテーマの一つは、過去の言葉となりましたが「頭の病」です。

特に精神疾患は、どのような症状も「病気だから」ですまされてしまうところがあります。

人の命を奪ってしまうのではないか、誰かの人生を台無しにしてしまうのではないかと怯える加害恐怖も、強迫性障害の症状の一つとして一線を引かれ、なぜそのような恐れが強くなるのか、薬以外に何がその恐れを取り除けるのか、より深い解明はなかなか進みません。

けれど、原因がわからない人も多いのでしょう理不尽な恐れは、マインドというものの本質を知るヒントを与えてくれているようにも思うのです。

その点については、もう少し整理してから記事にするつもりでいます。

小説の話に戻りますが、主人公の綾(あや)は強迫性障害の症状の一つとされる加害恐怖ゆえに、魂の生まれ変わりを確信したいと願います。

これも、病気だから、異常だからで相手にしてもらえないことかもしれません。

けれど、今ほど医療も文明も発達していなかったころ、人々は、自分を超えた大いなるものに救いを求め、死後の世界をもっと身近に感じていたのではないでしょうか?

何はともあれ、下記の引用のように悩む人がいるということを受け入れて頂けたなら嬉しいです。

 突然の死や取り返しのつかない過失に怯えることのない人たちは、火の元確認を繰りかえす私たちに、病院にいったほうがいいと言うだろう。
 
 でも、たとえ強迫行為をぴたりと止めてくれたとしても、医者が、理不尽な事故の起こるわけを説明してはくれないし、ましてや、こうこうこうだからあなたの人生に、あなたの恐れているようなことは絶対に起きないと断言してくれたりはしない。

 医者から離れた私たちが宗教に救いを求めるのはごく自然な流れ。

『また開く花のように』6章より
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