インナーボディ エックハルト・トール

ネドじゅんさんの動画で知ったエックハルト・トール氏。
早速、動画を見てみたのですが、親しみやすいネドじゅんさんと比べてしまうからか、なかなか最後まで見ることができませんでした。

それがどうして『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』というこの本を買って読もうと思ったのか、はっきりとは思い出せません。
けれど、タイトルからは「からだ」のことが書かれているとは思えないこの本を読むことが出来て本当に良かったです。

自分の経験から、「からだ」から送られてくる感覚を受け取ることができず、頭と身体が切り離された状態になってしまうと、思い込みが激しく、何でも頭で解決しようとするようになってしまうことがある、と、思ってきました。
また、身体との繋がりが弱くなると、まるで神とはぐれてしまったかの様に不安が強くなるのは何故なのだろう? と、ずっと思ってきました。

ネドじゅんさんを知り、過去や未来についてあれこれ考えることなく“今ここ”しかない右脳は身体の神経と繋がっているという話しを聞くことが出来ました。

そしてこの本には、『うちなるからだ「インナーボディ」』について書かれていました。

わたしたちは、見たり触ったりできるからだによって、「大いなる存在」を認識するわけではありません。目に見えるからだは「衣」、「虚像」であり、その奥にあるものが実体なんです。「大いなる存在」とつながっていれば、この実体は躍動する「うちなる生命」、「インナーボディ」として感じられます。つまり、「からだに住まう」ことは、からだのうちにある生命を感じることであり、そうすることで、「私は見かけの姿を超越した存在なのだ」、という認識に到達することなのです。
 しかしながら、この気づきでさえ、「静けさ」、「平和」、「パワー」、「生命力」があふれる、うちなる世界への旅の、ほんのプレリュードにすぎません。最初のうちは「大いなる存在」を、ちらりと見る程度かもしれませんが、その小さな経験を積み重ねていけば、真実に気づきはじめます。その真実とは、「わたしたちは、究極的には苦痛にとって代わられる、つかの間の快楽だけが与えられた、見知らぬ宇宙に置き去りにされた、意味もないかけらではない」ということです。わたしたちは、「衣」の奥では、あまりに果てしなく、あまりに神聖であるために、定義したり、話したりすることも不可能な「なにか」(わたしは、あえてそれを試みているわけですが)とつながっているのです。わたしが、その「なにか」について話しているのは、みなさんに心のよりどころを与えるためではなく、みなさんが、どうすれば、自分自身でその「なにか」を見つけられるかを、お教えするためです。

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』P.150-151

エックハルト・トール氏が言う「インナーボディ」が、なんとなくでもわかって頂けたでしょうか?

自分のことを振り返っても、ボディワークを受けたり、瞑想をしたりしている時、物質の「からだ」に意識を向けているかといえば、そうでは無いように思うのです。
もっとエネルギー的なものを感じているような気がします。

同じ内容ではありますが、もう1カ所、彼の言葉を引用させて頂きます。

あなたは、あなたのからだそのものなんです。ただ、わたしたちが見て、触ることができる肉体は、虚像であり、薄っぺらなヴェールでしかありません。そのヴェールの奥には、「大いなる存在」への入口である、インナーボディが存在します。インナーボディをとおして、わたしたちは「目には見えない唯一の生命」、「生まれることも滅びることもない永遠の生命」とつながっています。そこから切りはなされてしまうことは、絶対にありません。インナーボディをつうじて、わたしたちは永久に神とひとつなのです。

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』P.157-158

また、彼は、このインナーボディに根をおろすことの大切さも語っています。

 インナーボディとつながっているためのコツは、インナーボディを常に感じていることです。こうすると、人生が速やかに変化してきます。意識をインナーボディに向ければ向けるほど、波動が高まってきます。ちょうど照明のスイッチをひねっていくと、光が明るさを増してくるのと同じです。

(中略)

 ほとんどのあいだ、意識をインナーボディにおいていると、「いま」にいかりをおろせます。こうすれば、もう出来事の中で、自分自身を見失ったり、思考の中に自分自身を埋没させたりすることはありません。(後略)

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』P.158

インナーボディに根をおろす、つながるためには、インナーボディに意識を向け、感じる。

「からだ」の内側の感覚・内受容感覚の重要さを耳にすることも多くなりました。
けれど、そのようなことに関心を持っている人は、まだまだ極一部です。
意識を向け感じるどころか、「からだ」の声を無視しても、やるべきことをやらねばならないと思っている人は多いことでしょう。

 インナーボディに根をおろしていると、「いまに在る」ことが容易になります。外界でどんな出来事が起ころうと、わたしたちはびくともしないのです。「からだに住まう」ことは、「いまに在る」ためには、欠かせません。

(中略)

 「いまに在る」状態にいれば、対応が必要な時には、「大いなる存在」から、指示が発せられます。(後略)

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』P.160

ボディワークで「からだ」に意識を向けることは、過去や未来ではなく、“今ここ”に在ることを助けてくれると言い続けてきました。
けれど、この本を読むまでは、「いまに在る」ことのパワーが、まだまだわかっていなかったようです。

エックハルト・トール氏は、インナーボディを意識していると、老化のペースが遅くなったり、免疫力が高まったり、肉体レベルでも恩恵があるとも書いています。

反対に、「からだ」やインナーボディに意識を向けることが無かったらどうなるのでしょう。

 健康に機能している生物の場合、感情の「寿命」はほんのいっときです。「大いなる存在」を湖になぞらえるなら、感情は、その水面をなでる、さざ波のようなものです。ところが、からだを「留守」にしている人の中では、感情はなん日もなん週間も生きつづけます。もしくはそれが、すでにからだに存在している、似たような過去の感情とひとつになって、ペインボディになってしまいます。ペインボディは、マイナスのエネルギーを糧にして生きる、「寄生虫」のようなものであり、実際にわたしたちを病気にし、人生をみじめなものにしてしまいます。

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』P.162

自分は、トラウマ体験によって過剰なエネルギーを溜め込んでしまっただけでなく、「からだ」とのつながりが弱くなったことで、感情を流せなかったのでは?
そう思ってきましたが、どうやら当たっていたようです。

エドガー・ケイシーは、肉体と魂を繋げているのは内分泌腺や神経系統だと言っていたそうです。
インナーボディを感じるのにも、迷走神経や、知覚神経との関係も深い交感神経等、自律神経系統が関わっているのではないでしょうか?
そして、それに問題が生じてしまうと、「からだ」が「留守」になってしまうのではないか? なんて想像を巡らしてしまいます。

それはそうと、32歳でボディワークを受けて、初めて、自分の「からだ」が不快で居心地の悪い状態だと気づいた私は、それまで、「からだ」に意識を向けることは、殆どありませんでした。
そして、10代で強迫症状が出始め、長く尾を引きましたから、
自分は取り返しのつかないことをしてしまったのではないか?
一瞬先に、取り返しのつかないことをしてしまうのではないか?
と、過去と未来ばかりを気にして、それこそ、「いまに在る」ことが、稀だったようにも思います。
インナーボディと繋がれず「いまに在る」ことが出来ない典型だったのですね。

次回は、エックハルト・トールが語る「ペインボディ」について書きたいと思っています。