観念と感情 バシャールに学ぶ
自分の中から湧き上がってくる感情の激しさに辟易しているあなた、観念と感情の関係を知っていますか?
私に初めてその関係を教えてくれたのは、1989年に発行された『BASHAR2』という本でした。
BASHAR・バシャールは宇宙存在で、アメリカ人のダリル・アンカ氏がチャネラーとして彼の言葉を伝えています。
おそらく、このブログを読んでくださっているあなたは、宇宙存在やチャネリングという言葉に拒否感を抱くことはないでしょう。
三角形のプリズムと同じように、皆さんの人格も三つの側面を持っています。
『BASHAR2』ワークショップ(1)「感情の解放と意識の進化」
「観念」「感情」そして「思考パターン」。この三つです。
観念というのは、ちょうど現実の青写真のようなものです。そして、感情が青写真を活性化し、思考パターンが、その設計図に従って、現実に実現化します。ですから、観念が一番最初の概念です。
この本の表紙に並んでいる【バシャール語録】には、
“子供の「観念」は、親からテレパシーで受け継がれる。”とも、書かれていますが、私たちは、成長していく過程で沢山の観念を身につけていきます。
生まれた国や社会の観念、
親や家族の観念、
保育園や幼稚園、学校で身につけていく観念もあるでしょう。
何より大切なことは努力。
人に負けてはいけない。
自分は他の人よりも劣っている。
皆んなと違うことをしてはいけない。等々
よりわかりやすいように、『未来は、えらべる!』という本田健氏の本からバシャールの言葉を紹介させて頂きます。
(前略)ポジティブなもの、ネガティブなもの、どんな感情でも、すべての感情は、まず自分が信じ込んでいることから生まれます。
最初に観念がなければ、感情は生まれません。
観念とは、「感情をつくるもの」と定義できます。感情は、「自分と人生、自分と創造主との関係はこうに違いない」とあなたが信じている思い込みから、直接生まれてくるのです。
たとえば、自分と創造主との関係に対して、あなたが疑いや不安を持っていたとします。
疑いや不安は、真実の自分とつながっているときは持ち得ない感情です。
ですから、そういったネガティブな感情を持つこと自体が、そもそも、あなたが真実の自分からずれた観念を持っているということを端的に表しているのです。したがって、それらの感情に対処するためには、自分で自分に聞けばいいのです。「この感情を持つために、自分はどんな観念を持っていなければならないか」と、そうやって、自分に聞き、ひとつひとつ理解していけばいいのです。
自分がどんな観念を抱いているか、感情を使って探り当てることができます。
『未来は、えらべる!』P.57-58
観念が見つけられれば、その性質や構造を理解することで、それを変容させることができるのです。その後、観念を新しくすれば、自ずと感情も変わります。わかりますか。
20代の最後に受けたチャネリングセッションだったと思うのですが、
「あなたの頭の周りは概念(観念)でいっぱいだ」と言われたことがあります。
こうでなければいけない、ああでなければいけない、と、思い込みのかたまりでしたから、エネルギーフィールドにたまっているそれが、本当に見えたのだと思います。
限界に達してすでに解放の始まっていた感情の嵐は、月日をかけて、強く結びついた観念も一緒に一つずつ吹き飛ばしてくれました。
ちょっと例をあげると、
振られるたびに激しい感情に襲われていたのですが、
カンカンという踏切の音に引き込まれてしまうほどの絶望感や悲しみの中、ふと聞こえてきたのは、
「誰も私を愛してくれない」という声。
待望の男の子である弟が産まれ、主役の座を奪われたショックは大きかったのでしょう。
家中が盛り上がっている時に、そんな感情を持ってはいけないという観念もあって封印した、嫉妬や、寂しさや、悲しみ。
成長して振られるたびに、「誰も私を愛してくれない」という思い込みの正しさが証明され、感情も膨れ上がっていったのでしょう。
けれど、誰もが皆、創造主である“おおもとのエネルギー”とつながった存在であることを思い出すことが出来たなら、
「誰も私を愛してくれない」なんて観念の可笑しさにも気づけます。
面白いことに、バシャールは、
物質次元で何かを経験するためには、ある観念があなたの中にずっと存在し続ける必要があります。
『未来は、えらべる!』P.15
と、言っています。
確かに、リアルな感情を体験するためにも、揺るがない観念は必要なのでしょう。
けれど、私たちは、ポジティブもネガティブも本当に沢山の感情を伴う体験をしてきました。
今生では、不要となった観念を一つでも多く手放し、本来の身軽で自由な状態に 戻ることを計画して生まれてくる人も多いように思うのです。
そして、徹底的に手放すには、一度、頭の周りが真っ黒になってしまうほど沢山の観念を抱え込んでしまうのも、一つの手なのかもしれません。
息も出来ないほど苦しくなれば、私のように、必死になって手放し始めるのですから。
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