ネドじゅんさんの左脳・右脳理論と、ある精神疾患

伝えきれなかった「身体感覚」の大切さ

ネドじゅんさん、2冊目の本『しあわせ右脳で悟リズム』、3冊目の本『右脳革命』、そして昨日9月22日に公開された動画、

『ここまでわかってる右脳意識』を見ましたが、やっぱり良いですね。

今はまだ、1日中、頭の中のおしゃべりが続いているけれど、それが当たり前で気にならないという方が多いのかもしれません。

でも、「身体感覚」は軽んじられ左脳に偏った現代に生まれ、社会に適応してはきたけれど違和やしんどさが強くなってきた、そんな時にネドじゅんさんを知ったという方もいらっしゃることでしょう。

思考に振り回される状態から、不安の無い常にしあわせを感じられる状態に回帰したい、そんな思いから彼女が勧めるエレベーター呼吸に取り組んでいる方が、いったいどれぐらいいるのでしょうね?

彼女が登場する前も、自動思考を止めるために、「身体感覚」に意識を向けることを勧めてくれる人たちはいました。

今から、30年ほど前、激しい強迫症状のあとに残ってしまった精神的なアンバランスを認めざるを得なくなった私も、そういった人たちに出会うことができました。

ネドじゅんさんも、若いとき心身症の発作に苦しみボディーワーク系のセラピストの所に通ったと話されていますが、トラウマについてもまだまだ解明されていなかったあの時代、病院に行っても精神的な不調から真に解放されるとは思えず、ヨガや呼吸法やマッサージなどのボディワークに取り組んだ人がそれなりにいたと思います。

そして、それによって、生きることが楽になり日々を楽しめるようになったというのは私だけではないでしょう。

けれど、「身体感覚」が軽んじられているこの現代社会で、その大切さを伝えることは簡単ではありませんでした。

でも、「左脳と右脳」の役割の違いに基づいたネドじゅんさんの説明は実にわかりやすく、「身体感覚」に意識を向けることの大切さが明確にされています。

最初に断っておきますが、左脳と右脳の役割については、ネドじゅんさんを知って初めてそんなに違うの?と、関心を持った次第で、彼女の言うことが普遍的に正しいのかどうかはまだわかりません。

それでも、彼女の説明に、加害恐怖を抱え人生を心から楽しめるようになりたいと願っていたかつての自分と、そこからの回復の過程を照らし合わせてみると、なるほどと思えることが本当に多いのです。

左脳・右脳理論と強迫性障害

強迫観念という自動思考が止まらない
取り返しのつかない失敗をおかしてしまうのではないか?
すでに大変なことをしてしまったのではないか?と、
未来や過去のことが気になってたまらない。
「わたし」のことで頭がいっぱい。
「神」とはぐれてしまったかのように不安でたまらない

そんな、彼女がいう左脳優位な状態からの回復には、
喪失していた「身体感覚」を取り戻し、身体の内側に意識を向け自動思考を止める時間を積み重ねたことが大きかったと思います。
それは、今ここにいる時間を積み重ねることでもありました。
結果、体の外側へと広がっていた状態から、
体の内側に住まうことができるようになっていき、
「わたし」へのこだわりも薄れていきました。

自動思考と「身体感覚」

どちらも強迫性障害と診断名がつくのかもしれませんが、強迫観念と確認行動に明け暮れていた中高時代と、激しい症状は治ったものの加害恐怖が残ってしまった20代では全く違いました。

20代の終わりに、いよいよ、何かがおかしいと認めざるをえなくなり助けを求めたところは、医療ではなく、ボディ・マインド・スピリットの3つを大切にしているところでした。

その影響もあり、心配なことがあったとしても解決のための行動を起こすことができない寝る前に、未来や過去をめぐる思考を止め静かに座る時間を持つようになりました。

これが、自分でも驚いたのですが、意外と簡単にできたのです。
10代の初めに強迫症状が出始めてから常に自分を苦しめてきた恐れの声から解放される時間は感動的でした。

中高時代、授業の前に、目を閉じて心をしずめる時間が設けられていたのですが、
手を洗ったときに床に落ちてしまった一滴の水で誰かが滑って頭を打たないだろうか、
バレーボールにトゲをつけてしまったのではないか、
等々、頭の中では強迫観念が渦巻き続けていました。

強迫観念と一般的な自動思考は、やはり違うのでしょう。

私たちの身体は本当に良くできていて、思考により繰り返し使われたことで左脳の神経回路が強化されてしまったとしても、それが暴走しないブレーキが設けられているのではないか。
それでも、何らかの理由でそのブレーキが外れてしまったとき、強迫観念が頭から離れない状態に陥ってしまうのではないか。
そんなふうに思えてしまうほど、強迫性障害の強迫観念は、厄介なものです。

私の場合は、恐れという、とてつもないエネルギーが関係していたように思いますし、あの状態で、「自動思考を止める」ことに、一人、真正面から取り組むことはかなり難しかったと思います。

けれど、強迫観念を抱えたままバレーボールの部活に一生懸命になっていたのです。

この場所や時間は何も心配することは無いと言ってもらえる環境で、
「身体感覚」を取り戻すことの大切さと、その方法を教えてくれる人がいて、
他の人と一緒でも競い合う必要もなく、
自分の内側に意識を向けることができたなら、
結果、強迫観念から解放される時間を少しずつ積み重ねられたかもしれません。

ヨガ・呼吸法・踊り、等々。

バレーボールは全く上手くならなくて、ただただ辛いだけなのに、辞めたら負け犬だという思い込みだけで高校3年まで続けてしまいましたが、心地良いと思えるものに出会えていたら違っていたかもしれません。

喪失した「身体感覚」を取り戻し、それを信頼できるようになるには、体の内側に意識を向けることがとても有効です。
けれど、ただ辛いだけなのに体を動かしつづけても、全く効果が無いということもあるようです。

「身体感覚」と強迫性障害

「身体感覚」は専門的には「内受容感覚」と言われていますが、様々な心身の不調時に低下しているそうで、この内受容感覚の誤入力が心身症をはじめ多くの病に関わっていると言われるようになりました。

そして、ネドじゅんさんを知った今、私の強迫性障害と診断されただろう症状や生きづらさは、彼女が右脳と繋がっているという“身体の神経や五感”に起きた変化が関係していたという思いが更に強くなりました。

30歳を過ぎて受けたマッサージなどのボディワークで、自分の身体が酷く不快であることに初めて気づき、一部の「身体感覚」を喪失したまま長いこと生きてきたことに愕然としたということは繰り返し書いてきました。

また、体験した強迫症状の多くには身体感覚の変化が関係していました。

そして、ネドじゅんさんも「見る」と「目に映る」の違いについて語っていますが、ガスレンジのガスが漏れていないか、火が消えているかが気になり出した時は、すでに、目で見ただけでは確信が持てなくなっていました。
レンジの点火つまみを「止」の方向へ繰り返しねじっても折り合いがつけられないときは母に確認してもらっていたのですが、「目に映る」ものを自然に受け取れなくなるというのは結構、大変なことなのです。

日常、そして仕事においても、私たちは、「目に映る」ものを瞬時に受け取り状況を判断しています。
でも、「目に映る」ものを信頼できず、自分で見ようと躍起になれば時間だってかかります。

また、最初にリンクを貼った『ここまでわかってる右脳意識』という動画に、

体の皮膚の内側の空間に意識がピタっと入り込んでる状態(14:44〜)

あなたがあなたの体の内側に住むということ(18:33〜)

という言葉が出てきますが、見よう、見ようとすれば、意識は、内側から前へ前へと広がってしまいます。

ボディワークを受けるまえ、レイキの先生が私のエネルギーフィールドに触れながら、
「どうしてこんなに広がっちゃったんだろう」と首を傾げていたことがありました。

意識が体の外へ外へと広がってしまうのは、体や神経に生じた問題が関係している場合もあるように思います。

「今ここ」の大切さ

取り返しのつかない失敗を仕出かしてしまうのではないか、
すでにおかしてしまったのではないか。

そんなふうに過去や未来について思い悩むのは、「病気」ですまされがちですが、実はこれこそ、「今ここ」に居ることができない結果かもしれませんね。

生きづらさから抜け出したくて参加したワークショップやセラピーでは、「内側に意識を向ける」ことと同時に、「今ここ」にいることが大切だと繰り返し教わりました。
また、何かの拍子にいつもとは違う時間を体験したという人は結構いるのではないでしょうか?
それでも、私自身、「今ここ」のパワーが本当にはわかってなかったと感じています。

上記の『ここまでわかってる右脳意識』という動画の中で、ネドじゅんさんは、

意識の今ここへの否定が入ることで、意識と体の神経が持つ電気信号との間にタイムラグが起こるんです。
神経の電気信号は今ここです。
今パッと発火して神経を伝ってそして脳に届いて消えるんですが、その届いた信号と意識がタイムラグを起こしてしまうん。(9:38頃から〜)

と、語っています。

まだ充分理解しきれていないのですが、人一倍、今の自分を否定してしまう精神の不調を抱えた人に起きていることを知るうえで大切なことのように感じています。

「わたし」と「ワンネス」

極端に左脳優位の状態では、ネドじゅんさんが言う「本体さん」、「神」だとか言われているものとはぐれてしまったような不安感を持っていました。

でも、体の神経を通して、しっかりそのメッセージを受け取れていなかったとしても、それは常に「わたし」を見守り、大切なときには導いてくれていたのです。

精神的に最も厳しかった時期をどうにかこうにか通り抜けたとき、それに気づけたことも大きかったと思いますが、今は、自分を、荒れ狂う海に浮かぶ、いつ沈むかわからない小舟のようには感じません。

ネドじゅんさんは、右脳は“全身の神経の親分“で、私たちの身体の細胞や神経は全ての存在、そして、生命の源と繋がっていると言っていますが、「身体感覚」を取り戻したことも大きかったのかもしれません。

わたしたち「意識の焦点」は、生命という巨大な意識体の、指先なんです。

『左脳さん、右脳さん』P.69


と、彼女が書いているように、私も、切り離された個の幻想からワンネスに戻るための道のりを歩いているような気がしています。

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